気分はもう決戦

自分の解釈を放流するブログ

勝つことと勝ち続けること

ゲームとして

人がサッカーというゲームに対して関わる際に、何を求めどういう態度でいるかというのはとても大事なことだと思います。

サッカーには、サッカーというゲーム自体とサッカーというゲームをすることという側面あると思います。

今回はゲーム自体に対する態度を考えます。サッカーというゲームは勝ちと負けを発生させる構造になっている以上、第一に勝敗に対する態度があります。

勝ちというものに対して、勝つことを求めるのか、勝ち続けることを求めるのかという二つの態度があります。この二つは似ているようで大きく違います。

勝敗というものには、強い(効率的)か弱いか(非効率)という価値しか存在しません。

また勝ちは偶然性にも左右されるものです。試合が始まってすぐPK+レッドカードが出る場合もありますし、チームの中心が負傷により退場せざるを得なくなる、ピッチに入ったビーチボールに当たってゴールになるなんてことも。

勝つこと

勝つことというのは、シンプルに試合に勝つこと、タイトルを獲得することです。人間ですから、勝ちか負けるかどちらが良いとなったら当然勝ちたいと思うはずです。

しかし、勝利に拘ること(勝ちを絶対視すること)に陥ると、負けた際に大きな困難に陥ります。なぜなら負けたら価値が無いという志向だからです。そして人間は価値が無いと思うことに耐えられないので、勝敗に関係をするもの以外の価値(面白さ、美しさ、正直さ、愚直さなど)を欲します。勝てない状況が続くと、こんなの忖度だ!、アンチフットボールだ!、FACT!という勝者へのルサンチマン的言動に到達します。

このルサンチマン的言動にまで陥ると勝敗に関係のないことばかりに気を取られ、強いか弱いかという勝敗に関わる価値判断に注力できなくなります。

さらに勝利を絶対視することを続けると、決戦主義に至ります。勝てば全てが不可逆的に変わるという思想です。この考えでは資源の中で持続可能なものでも消費してしまいます。決戦主義では資源に余裕がない限り、長期的に持続できません。そして資源が限られているときに決戦主義に陥ると、負けてしまった際に致命的な事態に陥ります。今年昇格をするため、CL権を確保するため、優勝するために維持できない大型補強を行い失敗し沈んでいったクラブは数え切れません。

勝ち続けること

勝ち続けることとは、勝ちに値する(強い行動をとれる)ように学習(上達)することです。

勝利に値すること=サッカーという構造の学習そのものに価値を置くので、勝敗というものは学習の達成度の通知に過ぎないことになります。これにより負けという出来事に左右されずに常にゲームの学習に全力を注げます。左右されないといっても当然負けたら眠れなくなるほど悔しいと思いますが、何ができて何ができなかったから負けたと思うことができ、勝利へと邁進していくことが出来るということです。

つまり勝利に関わる<やるべきことをやる>ということに注力できるということです。このことについてニーチェは<力への意思>と表現し、プロゲーマーの梅原大吾は<勝ち続ける意志力>と表現しました。

勝ちに値することは、サッカーに最善がないために試行錯誤でしか学習できません。なので一見意味のないような基礎研究を行う必要があります。時間がかかります。そして持っている持続可能な資源の範囲でしか行えません。やるべきことはできることからしかできないということです。クロップは疑う者から信じる者へ変わろうと発言し、勝ち続けるための時間(=サポーターからの信用)という資源を確保しようとしました。

学習の進みは外部からは教養がないと評価できません。評価者もサッカーについて学習していくしかありません。

勝つことと勝ち続けることの関係

だれでも最初は勝ちに値することについて学習することからはじめますが、問題は勝った時、タイトルを獲得した時です。勝利の味を知ってしまうと学習の価値が薄れてしまいます。クラブの人間が学習に価値を置いていたとしても、サポーターの多数が勝利のみを求めるようになるとクラブはサポーターには逆らえません、資源の消費が始まります。そして学習は時間さえあればだれでも可能です。学習した優位性はすぐ追いつかれます。

つまり勝つことを求め始めると、学習の必要性を確認するまで勝てなくなっていくというパラドックスに陥るということです。

1シーズンの結果でクラブは無くなりません(基本的には)、クラブはずっと存在し続けます(地域の公共物であるなら)。私は勝つことを求めるよりも勝ち続けることを求め学習していくこと、勝ち続けるために行動している人間を信用するのが良いのではと思います。

 

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